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外国人の真の共生を促進し、国際交流に寄与する NPO Oizumi Kokusai Kyouiku Gijyutsu Fukyu Center

高野祥子についてAbout Shoko Takano

高野理事長挨拶



●マイナスからのスタートとなったNPO
 日本で働くブラジル人の子弟は、ブラジル政府の認可を受けたブラジル人学校か、日本の公立学校に入って教育を受けることになる。大泉町の公立学校に入る子弟が増えるに従い、日本語が話せなくていじめられたり、授業についていけなかったりして学校に行かなくなる子どもが出てきた。高野氏の教室には、「うちの子どもの面倒を見てくれないか」「ポルトガル語も教えてくれないか」という要望が、かなり寄せられるようになった。彼らにきちんとした教育をしたいと町に相談したところ、子どもたちにポルトガル語で説明しながら、日本語をしっかり教えるような学校が必要だということになり、モデルケースとして、大泉町にそういう学校をつくろうという話が進んだ。そして、その受け皿が必要ということで、地元企業の経営者や学識経験者らとともに2001年、「大泉国際教育技術普及センター」を設立した。  ところが、同年の町長選挙の後、ブラジル人子弟のための学校をつくるという話は白紙撤回されてしまう。しかし、学校ができることを前提に、すでに高野氏は30〜40人の子どもたちの面倒を見ていた。小さな教室で彼らに十分な教育を施すことには限界があると考えて、高野氏は自分たちで学校経営に乗り出すことにし、02年にブラジル人学校「日伯学園」を発足させた。

●フェスティバル開催と困窮家庭への支援 そのころ高野氏は警察の通訳もしていたが、ブラジル人青少年のドラッグや犯罪が多いことが気になっていた。公立学校になじめずに不就学になり、居場所をなくした子どもたちが仲間をつくってたむろしていた。  日系ブラジル人の子どもたちは頭がよく、スポーツや音楽、ダンスなどにも素晴らしいものを持っている。なのに、日本語がうまく話せないというだけで、コンプレックスを抱えて内向きになってしまう。彼らに自信と誇りを取り戻してあげられないか。大泉町と太田市にあるブラジル人学校5校のトップが集まって相談するなかで、「フェスティバルをやってはどうか」という話になった。ブラジルの日系人社会では、お祭りのたびに集まって、歌や演劇を披露したり、そろいのはっぴ姿で踊ったりして、日系人同士のきずなを深めていた。  2002年秋、大泉国際教育技術普及センターは、「麻薬撲滅」をテーマに「ブラジル青少年フェスティバル」を開催した。近辺のブラジル人学校を中心に300〜400人が参加し、国際捜査室長からは「あなたたちの活動のおかげで、未成年者の犯罪がゼロ近くになった」と認められた。以降、テーマを変えて毎年、続けている。  08年のリーマン・ショックは日本で働くブラジル人を直撃し、高野氏の周りでも多くの人たちが生活に困窮した。09年にはフェスティバルの開催自体が危ぶまれたが、ブラジル音楽を演奏する日本のグループが新宿の街頭で募金活動をするなど、多くの支援が寄せられた。フェスティバルは、「SOLIDARIEDADE」(相互扶助)をテーマに開催され、県外も含めてブラジル人学校11校が参加し、参加者は2,000人を超えた。  この他にも、セカンドハーベスト・ジャパンや地元企業と連携して、困っているブラジル人家庭に食料品や生活物資を届ける活動も行った。また、授業料が払えない子どもたちを支援するため、09年9月19〜23日には、チャリティーイベントとして、100時間ノン・ストップのフットサルマラソン大会を決行した。元Jリーグのラモス瑠偉氏が発起人に加わるなど、延べ2,369人が参加、80万円近くの収益金を3人の高校生に奨学金として贈ることができた。

●大学生が子どもたちの「成長モデル」に こういった定住外国人の居場所をつくる活動、特に子どもの学びを支援する活動が評価されて、高野氏は、2008年度の国際交流基金地球市民賞を受賞した。授賞式で一緒にあいさつに立った新垣オタヴィオ君は、「日本語教室に参加するまでは、学校を卒業したら親や周りの親戚のように工場で働くしかないと思っていました。しかし、この教室に参加したことにより、ポルトガル語と日本語を使って人の役に立てることに気づき、大学に進学しました。これからも、自分たちの後に続く子どもたちのためにがんばっていきたい。そして日系であることに誇りを持って生きていきたい」と感謝の言葉を述べた。 いま新垣君たちは、大泉国際教育技術普及センターの活動に参加している。子どもに日本語を教え、困窮家庭への支援物資の配布、チャリティーフットサル大会の運営などにも関わった。2010年には、これらのボランティア活動により、彼ら5人が優良生徒として、太田西ライオンズクラブから表彰された。 小さい子どもたちはそれを見て、「お兄ちゃんのようになりたい」と言って、勉学の励みにしている。子どもたちには、日本とブラジルの懸け橋になれるように学力をつけていってほしいと思う。

理事長 高野 祥子

高野祥子(たかの しょうこ)の沿革

1945年 天津市日本租界で生まれた

1946年 日本へ(終戦時の引き上げ者)

1958年 ブラジル移住(一家5人、13歳)
    フリースクールでブラジル語を勉強
    養鶏場の管理や魚の干物を作る仕事でブラジル国内を転々とした

1964年 同じ移民者(光雄)と結婚(当時19歳)

1989年4月 出稼ぎブームにより帰国(光雄、祥子、江梨香、光太郎、みどりの一家5人、当時44歳)
    工場で勤務

1990年6月 改正入管法が施行される

1990年9月 大泉町で日系2世の太田健二さんがブラジル商店第一号「レストラン・ブラジル」を開店

1991年9月 日系ブラジル人向けに日本語塾日伯センター開設(高野祥子、みどり)
    ポルトガル語の通訳として警察で手伝い
    日本初の週刊ポルトガル語新聞「インターナショナルプス」がIPCより創刊された

1991年11月 大泉公民館で大泉国際交流協会による「入門ポルトガル語」講座が開始された

1991年12月 外務、労務、文部三省の合同視察団が大泉西小、企業二社を視察

1992年3月 大泉町が「広報おおいずみ」をポルトガル語に翻訳した「ガラッパ」を創刊

1992年10月 大泉町とブラジル国グアラチンゲター市が姉妹都市提携

1993年5月 日本語塾日伯センターを(有)日伯センターとして会社設立(代表取締役 高野光雄)
    主な事業内容は日語塾・翻訳・通訳・家電、自動車関係部品メーカーの構内請負業務

1993年10月 太田市東本町の日本語学校「国際文化学院」が廃校

1994年8月 改正入管法施行以来、増加を続けていた県内の外国人登録者数が94年に入って初めて減少に転ずる

1995年 日伯センター移転(同じ町内)

1996年4月 日系ブラジル人らの16店が一堂に集まるショッピングセンタ―「ブラジリアン プラザ」が開業
    (大泉町西小泉の大型店二階)

2000年6月 (有)日伯センターから分離し、(有)大泉日伯センター(代表取締役 高野祥子)を設立
    主な事業内容は日本語及び外国語教室の運営、翻訳、通訳、旅行業務の代行、輸入・輸出業務
     (有)大泉日伯センターの業務の一環として「エスコリーニャ ド CNBO」を設立
    (日本語塾&ポルトガル語塾)

2001年 NPO法人 大泉国際教育技術普及センターを設立(理事長 高野祥子)

2001年5月 有限会社CNB(代表 高野光雄)を設立。
    主な事業内容は、家電・自動車関連部品製造の請負及び労働者派遣業務

2001年9月 諸問題により大泉カルナバル中止(大泉町観光協会)

2002年5月  FIFAワールドカップ(ブラジル優勝)

2002年4月 第1回ブラジル青少年フェスティバル開催

2002年6月 「エスコリーニャ ド CNBO」を日伯学園と名称変更(園長:戸澤江梨香)

2002年11月 大泉日伯センターが特定労働者派遣事業を開始(

2003年9月 第2回ブラジル青少年フェスティバル開催

2003年10月 テレビ東京 日経スペシャル「ガイアの夜明け」で「第二の開国!移民国家ニッポンへの道」を放送

2004年4月 ブラジル政府から日伯学園が認可される

2004年9月 第3回ブラジル青少年フェスティバル開催(大泉町文化村)

2005年6月 平成17年度外国人雇用管理セミナー講演

2005年9月 第4回ブラジル青少年フェスティバル開催(大泉町文化村)

2006年2月 アマード駐日ブラジル大使と後藤博子参議院議員が日伯学園を視察

2006年6月 文部科学省から準各種学校として認可される(官報第4365号に記載)

2006年10月 第5回ブラジル青少年フェスティバル開催(大泉町文化村)

2007年4月 (有)大泉日伯センター NESPOフットサル場オープン

2007年7月 NESPOアマラオカップ開催(日本人とブラジル人が熱戦しフットサルで交流)

2007年9月 中野清厚生労働副大臣、日伯学園を訪問
    大泉カルナバル再開(大泉町観光協会)

2007年10月 第6回ブラジル青少年フェスティバル開催(大泉町文化村)

2007年12月 高崎市の通信制私立学芸館高校は来年4月から日伯学園と連携し、日系ブラジル人高校就学支援を始める

2008年8月 文化むらにて秘境「大アマゾン展」(大泉町観光協会)開催
    大泉カルナバル開催(大泉町観光協会)

2008年9月 日伯交流 JALN ESPO第2回フットサル大会開催

2008年10月 第7回ブラジル青少年フェスティバル開催(大泉町文化村)

2009年1月 国際交流基金の地球市民賞を受賞(当時63歳)

2009年 文部科学省事業「虹の架け橋」プロジェクトに採択

2009年9月 ギネスにチャレンジノンストップ NPO大泉国際教育技術普及センター「100時間フットサル大会」開催
    大泉カルナバル開催(大泉町観光協会)

2009年10月 第8回ブラジル青少年フェスティバル開催(大泉町文化村)

2010年 文部科学省事業「虹の架け橋」プロジェクトに採択
    ブラジル政府から感謝状を受理

2010年9月 大泉カルナバル開催(大泉町観光協会)
    第9回「ブラジル青少年フェスティバル」開催

2011年 文部科学省事業「虹の架け橋」プロジェクトに採択
    日伯センター医療機器株式会社設立(ブラジル事業所)

2011年9月 大泉カルナバル開催(大泉町観光協会)

2011年10月 太田市国際交流センターにて「カエル・プロジェクト」セミナー開催(教育文化連帯学会)

2012年5月 NHK「探検バクモン」の「うわさのブラジル街〜群馬県大泉町」で大泉町が放映される
    第10回記念「ブラジル青少年フェスティバル」開催

2012年9月 大泉カルナバル開催(大泉町観光協会)

2013年9月 大泉カルナバル開催(大泉町観光協会)

2014年9月 大泉カルナバル開催(大泉町観光協会)

2015年9月 大泉カルナバル開催(大泉町観光協会)

国際交流基金 地球市民賞を受賞

<授賞理由>人口の約一割がブラジル人という大泉町において、ブラジル人学校に通う子どもたちが自信をつけられるよう、学習成果と自分の得意な演奏やパフォーマンスを発表するブラジル青少年フェスティバルを開催。ブラジル人と地域住民が相互に文化を教えあう事業など交流促進と相互理解を深める事業や、日本語学習の支援事業なども展開し、ブラジル人の子どもたちの健全な育成のために日本での生活に必要な言語、習慣、文化の習得を図り、また多文化の共生を積極的に生かすコミュニティの実現に向けて活動を行なってきている。 (群馬県からは13年ぶり2団体目)